祖母の死

なにも成長しないまま月日だけが過ぎ去った感覚がある。上京してから約7年間、何かを為そうとしながら、何も成し遂げられず、ただいたずらに世間の波にのまれていたにすぎない。3年間努めた会社を辞めて、ここ1年は契約社員として、ただ数値を打ち込むだけの作業をしながら、無為に時間を消費している。

これからどうするのか、将来はどうなるのか、考えても絶望するしかないので、何も考えないまま、耳と目を覆い、その日その日がやってきては過ぎていくのを、じっと耐えている。いつまでもこんな生活が続くはずはないとは分かっている。しかし、偽ることのできない現実が到来した時、現実を受け入れる用意は、はたしてできているのだろうか。

中年になり、まともな職にも就かず、何の技術もなく、対人関係に極度の障害を持つ、自意識ばかり高い、吃音症の人間など、どんな人間だって、軽蔑し、憎悪し、関わり合いになどなりたくはないだろう。そんな人間にはなりたくないし、きっとならないだろうと、学生の頃は信じていた。

しかし、月日が経ち、社会にもまれ、何もできないまま、時間だけが経過していくにつれ、自分がどうしようもなく、救いがたい存在になっていることに気づかされる。目的もないまま、その日その日を何の発展もなく、ただ繰り返している。若い時に抱いていた期待や希望も、いまでは思い出すこともできなくなり、どうしたらこの小さな生活を保っていられるかに日々をあくせくしている。

そうしないと気が気じゃないのだ。自分が醜く、ちっぽけな存在でしかないことが明らかにされてしまうことが。だから自分はまだ望みがあると、まだやり直せると、そう信じて、先の見えない生活を空虚な希望で満たして生き続けている。

 

先日、祖母が亡くなった。上京してからはほとんど実家とは関係を持たなくなっていたのだけれど、祖母が亡くなった当日の朝、携帯のメッセージアプリに、今日未明に祖母が亡くなったこと、明日葬儀を執り行うことの通知が兄から届いていた。

祖母との思い出は幼少の頃に遡る。父の実家は長野の山奥にあったので、お盆の時期はよく泊りがけで祖母のもとを訪れた。私の記憶している祖母の印象は、ものやわらかで優しく、控えめといっていいほど謙虚であり、私たち家族4人で訪れた際も、幼い兄と私をうるさがりもせず、心から歓迎しているように見えた。

私は祖母の家、父の故郷の村に行くのが好きだった。都会で育った私にとって、田舎の生活や自然に囲まれた環境は物珍しくもあり、うらやましくもあった。

祖父は私の生まれる前に亡くなり、祖母と同居していた叔父も、私が中学の頃に亡くなった。叔父が亡くなってからは、祖母はしばらく1人で生活していたが、私が高校の時、体調が急変し、入院することとなった。近所の人が、たまたま祖母のところに立ち寄ったところ、祖母の様子のおかしいことを発見した。

連絡を受けた父は、祖母を車に乗せ、2時間ほどかけて自宅にほど近い大学病院まで運んだ。祖母はそこにそのまま入院することになった。

幸い祖母の病は命に至るものではなく、術後普通に生活できるようになったけれど、山奥に祖母1人で生活させることは、これ以上はできないだろうということになり、私たち家族のもとで生活を共にするようになった。

祖母の認知症は以前から、その面影はあったが、叔父が亡くなり1人になってからは、症状がさらにひどくなった。私たちの家で生活するようになってからも、今どこにいるのかわかっていないようで、どんなに言い聞かせても、田舎の自分の家にいるのだと思い込んでいた。私を親戚の誰それだのと勘違いしていた。1人では入浴、排せつなどがうまくできなくなっていた。私は祖母のにおいに堪りかね、無理やり風呂に入れさせようと思ったこともあったが、思い直してやめた。祖母は家族の中で打ち解けず、私たちも祖母に対しどこか他人行儀になり、厄介者扱いするようになった。

母は祖母を施設に入れるよう父に懇願した。私も、それが祖母と父に対して非情な選択であると理解もせずに、母の意見に同調した。受験を控えた兄も同じであったように思う。3人の意見に押される形で、不本意ながらも父は祖母を施設に入所させた。

それからは、祖母に対しては断片的な記憶しかない。大学に入り、1人暮らしをするようになってからは、実家に帰ることもほとんどなくなった。ごくたまに帰省し、施設に祖母を面会に訪れると、学校の教室を思わせる無機質な部屋の中に、他の入所者に混じって、祖母の姿があった。

私が誰であるか分かるか祖母に訊ねると、祖母は鼻を鳴らし、半ば軽蔑的に、馬鹿にするなといった目つきで私を見返した。私は祖母が本心に帰っているのではないかと疑った。

 

それから家族とも不和となり、上京してからは特に帰省することもなくなった。いつも祖母の存在が頭に引っかかっていながら、とっくに祖母は死んでいるだろうと思いなして月日を過ごした。

きっと考えたくなかったのだろう、祖母がまだ生きて施設に入所していることや、まったく面会に来ない自分の不孝なこと。そして、家族の問題を思い出し、家族の問題に引き戻されることを、無意識で頑なに拒んでいたのだろう。

祖母の訃報を知らされたとき、唐突に寝耳を襲われる感覚とともに、ついにその時が来たな、心にいつも想像してきたことがついに現実になったな、という思いがぼんやり頭に浮かんだ。後ろめたい感情が、ついに弁済がされないままに、決済の日を迎えてしまった。私は何もせず、不孝なまま、それまでただ自分の問題だけにかかずり合っていた。

実家に向かう道中、車内で兄から祖母の死因を聞かされた。3カ月前から体調が悪くなって入院していたこと、ここ1カ月は特に容体が悪化し、いつ死んでもおかしくない状況であったことを、深夜の高速を走りながらただぼんやりと聞いていた。

 

祖母の葬儀はささやかなものだった。会ったこともない親戚数名、叔母と従兄、私たち家族4人。生きている頃はほとんど関心を示さなかったのに、いざ死んだとなったら、思い出したように外見だけ体面を繕って集まるんだな、といった考えが、半ば自嘲的に頭に浮かんだ。

喪主であった父は葬儀に関するあれこれを、すべて1人でしなければならなかった。私は、ぎこちなくも親戚の相手をする父を尻目に、居心地が悪かった。何年も家に帰らず、祖母のことをほったらかしにしていたのに、葬儀となったら身内らしく顔を出して、殊勝な態度をとったりすることが、自分でも場違いで、恥ずかしい思いだった。自分から家族を避けていたのに、こういう時にどういう態度をとればいいのか、全く分からなかった。忙しく立ち働く父を尻目に、私はただ棒のように立ちつくしていた。

母も兄も、祖母の死の事実の前に呆然としていた。我々はひどく機械的に葬儀に参列し、しおらしい顔をし、祖母の遺影を前にお辞儀をした。坊主が来てお経を唱え何か言って帰っていった。何の感情もわかなかった。ただ恥辱だけが心の中で疼いていた。

ごくわずかな数の親戚以外、葬儀には参列しなかった。我々は顔も知らない親せきを前に、どう扱ってよいのかも分からず、向こうも向こうで身の置き場に困った感じで、お互いにひどく不器用に葬式をしていた。親戚からはどこかつまらない、腹立たしいげな印象を受けたが、我々にはどうすることもできなかった。

何もかも、ひどく儀式的で形式的であった。そうと言わなければ、祖母の死のために葬式を行っているとは気づかないのではないかと思われた。

父とは長年反目し合い、口を利かない仲であった。祖母が亡くなってからも、どんな言葉をかけてよいか分からず、顔を合わせれば、ただ気まずそうに眼をそらすしかなかった。火葬場で祖母の骨を拾った後、葬儀場に戻るため車に乗り込むとき、父は私の名を呼び、何か言おうとした。その時、どんな言葉を言おうとしたのか、今では知る術もないのだけれど、あの時の父の悄然とした、やり場のない、気落ちした表情は、忘れることができない。私はただ自分の不甲斐なさにやるせなさを覚えるしかなかった。

 

大学を辞めてから、家族とは疎遠になっていった。上京してからも、電話にも出ず、ろくに連絡もよこさなかった。私は、意識して家族と関係を断ち、知っている人のいない環境で、新しく人生を再び始めたかった。

しかし現実を見ると、いつまでも半人前のままで、ろくな仕事に就くこともできず、相変わらず世間に対して相反した感情を抱えたまま、未熟な大人となってしまっていることに気づかされる。祖母の死が、その意識をさらに強めた。

だめになった人生を、いつもふりだしからやり直す。どうせだめになった人生なら、とことんだめにしてやろうという自傷的な願望を、私は大学を辞めた頃から人生に対して持つようになっていた。

しかし完全にだめになりきることもできず、といって積極的に社会的な関係を築いてゆくこともできず、いつしか半端な人生を送るよりほかに仕方なくなっていることに気づく。

何者にもなりきれず、人並みの人生もおくれない私に対して、家の皆はどんな感情を抱いているのだろう?反抗し、家を飛び出し、音信不通となった私に対して、どんな感情を持つだろうか?軽蔑だろうか?嫌悪だろうか?それとも嘲笑だろうか?

言い分がないわけではない。家族の抑圧から逃れるためには、家を出るしかなかった。そうしなければ、私はきっと暴力を振るうようになっていただろう。上京してからも、自分なりに苦労して生活してきた。ぼろぼろになりながらも、だめになった人生をつなぎ止め、どうにか人並みの人生を送れるように、会社に就職して努力してみた。

しかし、私の中の心が統一性を持たず混沌としているように、外界における対人関係や社会関係においても、矛盾し混乱した関係を結ばざるおえなかった。自分の行動に統一性を持たすことができず、努力しても、矛盾が亢進してきて破局を来す。その繰り返し。一つ物事が長続きせず、持続した関係性を取り持つことができない。

だから他人を傷つけ、期待を裏切り続けることで、自分を傷つけ続けるしかない。いつまでも自分に自信を持つことができないから、いつまでもスタート地点からやり直している。

こんなどうしようもない人間になってしまって、それでもまだ家族の一員であることは論理的に不可能だろう。

母は私が良い大学に入り、良い会社に入社することを望み、そうなるように私に言い聞かせて育ててきた。申し訳ないけれど、もう私は母の望みをかなえことはできない。私は母との関係では、どうしようもない程落ちこぼれた、失敗した存在なのだ。私はもう母に会いたくない。母の顔を見るだけで、自分がいかに無価値でみじめで失敗した存在であるかが意識されてしまう。

私が生きて、人生に再び意味を見出すことができるためには、家族の存在を否定しなければならない。これは論理的に避けられない。そうでないと私が無価値で間違った存在になってしまう。だから私は、家族の目の届かない離れたところで、死の通知が届くまで、1人生き続けるしかないのだろう。

ものが挟まったような

現実との間にものが挟まった感覚。言葉とはどこでもないところから突然降りてきて、私をとらえるのだろう。現実との間に薄い皮膜一枚を隔てた感覚。言葉がなくても身体は現実にある。身体的な物質性は私の存在を確からしく思わせるが、言葉によって分節化される精神は、自明とされる存在とは別のものだ。言葉によって、私の内界と外界は分離され、裁断される。そして、私のこちら側に精神は生まれ、向こう側に世界は立ち現れる。言葉は、そのままでは自然に、無反省に溶け合っていた世界との関係を、半ば暴力的に、無慈悲に切断し、新たに作り変える。

だから、言葉は傷つけ、残酷なものであるが、言葉によってしか、分節され、反省された形で世界を新たに作り出すことはできない。そのままではうつろな存在にすぎなかった精神が、新たな光を得ることで、新たな運動を得、現実に向かって新たな関係を切り結んでいけるようになる。言葉がなければ、世界のこちら側で暗いままに、心は閉じたままだろう。

思考し、感情の働きを認識し、自己を有するには言葉がなければならない。しかし、思考し、自己を有するから言葉が出るのではない。言葉のほうがまずやってきて、人をとらえ、人の内面をつくる。人の精神や思考、感情が先にあるのではなく、言葉のほうがやってくることで、それらのものに名前を与え、分節し、理解し、解釈できるものとする。言葉とは、意識のこちら側にあるものでなく、どこでもないところから、突然人をとらえ、人を動かし、現実を照らすものなのだろう。

近況

この1年間、誰とも話さず、1DKのアパートの中で、息を殺して暮らしている。

1日が繰り返されるたびに、自分の中の一部が、少しずつ死んでいくのを感じる。

昔感じていた憧れも、もはや思い出すことすらできなくなって、鈍くなった感情だけが、冷たくなった心に凝固する。

部屋の中には、自分のつぶやきだけが残響して、気が狂いそうだ。

傷つけられたプライドと、ちんけな虚栄心が、昔に負った古傷を、いつまでも搔き立てる。

だめになった過去を、上手く整理できないまま、いつまでも同じところに立ち止まり、ただ時間だけが過ぎていく。

弁明を求めったって、誰も答えてくれはしない。

結局、落とし前は自分でつけなければならないのに、動き出す力もなく、じっと部屋の隅で、時間の重みに耐えている。

目に映る現実が、質の悪い冗談でないと、信じることがひどく難しい。

現実を糊塗して歪曲しないと、一秒だって、目を開けていられない。

不器用になった体を、垢じみた布団に横たえ、今日もまた自分の穴倉のなかで、苛立たしげに寝返りをうつ。

フロアには、うっすらと埃が積もって、ひどくよそよそしく、物が散らばっている。

顎関節は、とっくに硬直してしまったようだ。

伝えたいときに限って、舌が絡まって言葉が出てこない。

コンビニでたった一言、返事をするのさえ、ひどく疲れる。

夢の中の情景はいつも同じだ。開きかけようとする口、絞り出そうとする言葉は、いつも舌の先で硬直してしまい、言葉が向こう側に到達する前に、墜落する。

 

一日が来るたびに、目を覚まして、一日の終わりにまた目を閉じる。一体この繰り返しに意味があるのだろうか?目標があるわけでも、希望があるわけでもなく、ただ、だめになった人生を無意味に続けている。

とうの昔に、終わってしまった人生を、もう、生きる意味なんてないと知りながら、まだ繰り返している。

とっくの昔に、落とし前をつけなければならなかったのに、それさえできずに、空っぽになった人生を、どこまでも引きずってゆく。

意味なんてないと知りながら、それでも、物わかりの悪い子供のように、続けてゆかなければならない。

あきらめきったことを、まだ、あきらめ足りないとでも言うかのように。

結局、同じ問題に囚われ、同じ認識の限界の中を、際限もなく歩き回っているに過ぎない。

 

 

現実について

現実に向かい合わなければ、人は生産的な仕事をすることはできない。しかし、現実の中身の検討が必要だ。

私が見ている現実は本当に現実なのだろうか?最近疑わしくなってきている。

現実的な行動でなければ、現実へのアプローチをするにあたって、確かな担保があるとは言えない。しかし、現実的な行動とは何を意味するだろうか?

そこが重要だ。今見ている現実が、スクリーンに映し出された現実でないと、確かな質量のある現実だと、自信を持って言えるだろうか?

私も含めて、ほとんどの人は、商業化された、広告で表現された人生の中で、その限界の内で、物事を判断し、考え、あるいは選択している。

現実の限界が、ある枠組みの中で決められ、その外側に対する想像力が奪われている。

現実的な選択という時の現実とは、だから、ある観点から現実化され、自然化された世界の見方であり、一側面から強課され、意味づけられた、世界の一断面ということだ。

この断面の周りでしか、現実的な想像力とその可能性の限界は運動しない。平板化され、平準化された現実の地平においては。

 

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人生の意味が疎外され、世界が没落するのはこの時である。

平板化した現実に引きつけられ、それに当てはめることでしか、人生を評価するすべがない。外部からの尺度で、自分のうかがい知らないところで、人生が議論され、決定付けられる。

外部化された現実は、自然化された外観を呈すが、それが内面化された意味において、生きられた実感としての重さを持つことはない。現実は、生きられる実感としての手触りを失い、仮構されたものとしてのフィクションになる。

現実をよりよく生きようとしても、だから、足がかりを失うしかない。現実に準拠し、現実の担保を取ろうとも、それは内面化された意味での根拠を持たないのだから。どんな動機付けや価値基準を与えられようとも、実感としての確からしさと、行動への確信を与えられることはない。

 

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人生を続けるとは、現実と関係を持つことだが、現実の中で投企を行う。それは仮構された現実に対してではなく、自身固有の問題領域や、生きられる限界から地続きの地平にある現実に対してである。

 

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固有のものとしての現実は、だから、反省の形式を要請する。ある行程ににおける必然としての帰結を、意味付け、内化する。反省がなければ、現実を理解することもできない。

そうでなければ、常に経過し、忘却してゆく、時の断片しか持つことができず、外部化された尺度でしか、人生の確からしさを実感できない存在になる。

必然性としての現実は、現在の内に過去、未来を収斂するが、自然化された現実は、無意識に外部化された評価尺度を強課するため、時間をとりこぼし、先へ先へと人生の意味を疎外し続ける。

選択肢としての現実は、あれもこれもと、様々な取り得る可能性の束を展開する。しかし、生きられる限界としての現実は、必然性と、根拠付けと、それでなければならなかったという、ある倫理を要請する。

自身の生に、つまり運命に忠実であれ、とそれは命じる。別の言葉で良心と呼んでもよい。

 

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そこで、私は私の人生に対して、ふと考える。恥辱に塗れた人の生であると。

現実から差し出された動かしがたい事実に対して、どんな弁明も許されない。この偽りのない、仮借ない生の照明に対して、人生が指し示すものに忠実であることができるだろうか。

 

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選択肢としての現実と生きられる現実との乖離。選択肢からは、あらゆる取りうる期待値を前提にすることができるが、取りうる可能性と行動の幅はあらかじめ決まっている。

生きられる限界としての唯一性と、取りうるあらゆる選択としての任意性の相克。必然性と偶然性。それでなければならなかったことと、それでなくともよかったこととの決着。

 

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現実との接点を持つことで、実際の行動と、それにともなう可能性、およびそれらに対処するための具体的な思考が準備される。

しかし、この選択を行うことの根拠と理由付けは、必ずしも相互に結びつくものではない。選択的な現実の取りうる値は、あらかじめ決められているため、現実的な手触りがなく、空虚で現実感がない。そこからは、何らの根拠も、真実らしさも、与えられることはない。

あらかじめ用意された現実を、本物であるかのように、自分の意志で演じることを、強制されるという点で、それは虚構であり、反現実である。

 

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一方で、生きられる現実はどうなっているだろうか?

生きられる現実は、外部の現実と結びつくことなく、なんら具体的な行動との接点を持つこともなくなり、自閉的な空間の中でしか展開しなくなる。

生きられた現実は、密室の空想の中で、自足したイマージュを作り上げ、その限りで持続するが、その究極の結末は、赤裸々で暴力的な現実の侵入に伴う、自己幻想の崩壊である。

 

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生きられた現実を救出することは可能だろうか?

常にこれはフィクションだ、まじめに取り合う必要はない、と思い定めて、選択的な現実に対処することは、意識しようがしまいが、誰もが前提にしえることである。

問題は選択的な現実に対抗する現実は何か?ということだ。

目の前の現実が現実でないとすれば、現実でないことを埋め合わせる、代わりの何かがなければならない。その何かが、目の前の現実に対して、生きられた実感としての、じゅうぶんに現実的な確からしさを与えてくれる対抗性をもって、立ち現れなければならない。

現実的な確からしさとは、単に具体化の度合いが高い、ということではなく、本来あるべきものの在り方に対して、どれだけふさわしいか、ということである。

 

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生きられる現実が、現実的な確かさを纏うことができるだろうか?

生きられる現実は、具体化される可能性の条件を失ったまま、空想化した妄想として展開する。

あるべきものとしての現実は、あり得る選択肢に基づく現実によって、枠づけ、制限され、抑圧される。

結果、それは内面化された願望としてのイメージになることで、外面化され、具体化される回路を失う。

生きられた現実は、個人にとっては避けられない必然でありながら、社会の一般的なとりうる値から見れば、具体的な可能性がなく、極めて私的な事柄に属するものとして、空想、虚構、さらには妄想の側へ押しやられる。

必然的で、避けられないものが、フィクションとなることによって、あるべきものとしての現実も、確かさを失い、どこか頼りない、疑わしいものとなる。

そして目に映る現実は、あらゆる取りうる値の可能性の束となり、それを根拠づける理由もないまま、あれもこれもと、可能なあらゆる選択肢を求め続けることを強制する。

 

大学についてニートが思ったこと

僕は昔大学に通っていたことがあるのだけれど、はっきり言ってあまり行く意味はないと思う。まあ、僕が通ってた学校が大した所ではなかったこともあるんだけど。特に文系の学部は社会で役に立つ知識を教える所ではないし、そういう知識を学びたかったら自分で勉強すればいいと思う。というか実質そうするしかない。大学の大衆化ということもあって、それなりに財力があって性格も大人しければ大した苦労もなく大学には入れるようになっている。大学の高校化というのも聞くけど、どっちかというと高校のほうがましな感じがしないでもない。旧帝大はいざしらず、大学出といえば昔は社会を引っ張って行くエリートだったけど、今は中堅以下の大学は社会に学生を送り出すためだけに存在しているような感じ。だから今の大学はまともに落ち着いて勉強できる環境ではない。本当に落ち着いて勉強したかったら東大に行ってください。僕が通ってたようなところだと特に熱心に勉強する訳でもなく、かといってすぐ就職してしまう訳でもないので中途半端に学生という身分でいるだけ。社会は学生に期待を寄せて優秀な人材を求めるけれど、大学に通っていたからと言ったって別に仕事ができる訳でもないし、基本学生はダラダラしている訳だから優秀であるわけない。高校とか予備校とか親とか必死になって有名大学に合格させようとするけど、いったい何を期待しているんだろう。大学は彼らが思っているようなところでは決してない、と僕は確信している。その彼らも昔は学生だったと言うから驚きだ。学生は基本勉強なんてしない。じゃあ一体なんで学校に通っているんだ?いったい何をしているんだ?というとこれは解きがたい謎だ。まあ一つ言えそうなことは人間は人生の中でそんなふうに何もしていない時期も必要だということだ。まるでベルトコンベアーみたいに及第して行って、ロボットみたいに社会の再生産に参加して行くのもありなんだけど、その前に一度立ち止まってなんで俺こんなに頑張ってるんだろう、バカみたいじゃん、と思ってちょっとグレてみるぐらいがちょうど健康的なのだと思う。まあ最近は学生をはやく社会に取り込もうとして、もともとぐうたらしている学生を生産的で効率的な尺度に従うように内面化させようという動きがかなり強くなってきているんだけど。僕はそれはちょっと違うんじゃないかと思う。いろいろ意見はあると思うけど、意味なんてなくっても学校サボってぐうたらしてマージャンして飲んでたりしてもいいんじゃないか?それを大学の高校化と言おうが大衆化と言おうが教養の崩壊と言おうが。結局言いたかったことは受験生は大学入った後に僕みたいに茫然としてどうしていいか分からなくならないために、それほど肩肘張らないでほしいということだ。

感情的な無感動

最近悲観的に現状を批判するよりも、オプティミスティックに考えるほうが得なんじゃないかと思うようになった。それはシニカルに現状を肯定する訳ではなくて。

悲観的に考えようと楽観的に考えようと、現状は変わらない。だったら別に悲観的に考えて自分を追い詰める必要はない。追い詰めようと追い詰めなかろうと外からの評価は一ミリだって変わらない。

今日電車に乗っていてふと気がついた。みんな普段はせかせかと忙しそうに動きまわっているのに、電車に乗っている時は落ち着いているように見えた。彼らが落ち着いているまさにその時、電車は高速で運動している。高速で運動していながら彼らは安心している。そして電車が運動を停止した時、思い出したように降車して、またせかせかと動きまわりはじめる。

何処かに向かって運動している。その限りで安定することができる。安定するためにはつねに運動していないとだめなのだ。

オプティミスティックに現状を追認することは白痴化することと同じだ。

現代では抒情詩しかあり得ない。だからヒステリックに現状を批判してもヒステリーで返されるだけだ。

現代では感情が死んで無機質な理性が生き残ったのか。現状は正反対である。現代では感情しかない。機械的で冷酷な近代的理性が人間を操作して彼らを有機的なつながりから疎外する代わりに、見せかけの感情が彼らを自ら労働に縛りつけるようにさせる。

彼らは自分は充分人間的だと思っている。その限りで彼らは非人間的である。

自分が非人間的であると自覚している人間は、自分の感情は操作の対象でしかないと理解している。しかし自分が人間的だと思っている人間は、自分の倫理観や道徳観を自明の真理であると思い込んでいる。

現代の資本主義は無機質な商品交換によって成立しているのではなくて、人間的な奴隷制度によって成立している。それは自分たちの感情までも商品交換の対象にする意図なのだけれど。少なくも彼らは自分ではそれを意識していない。だから彼らは人間的で倫理的であるというわけだ。

人間は自分よりも一段高い所から俯瞰的に現状を認識することはできない。つねに自分の目線から現状を認識するしかない。だから決断にはつねに跳躍が伴う。

跳んでみてからでしか行動の評価はできないのだ。

ペシミスティクに現状を批判するのもいい。ただそれは感情的に現状を肯定することと隣り合わせである。

オプティミスティックに現状を批判するとは、自分がつねに誤っていると自覚しながら批判することである。自分の存在も、高い所からエピステーメーを突きつけるのではなくて、つねに誤りうる存在として笑い飛ばす。

気をつけなければならないのは、批判的オプティミズムはシニカルに現状を肯定することと同義ではない、ということである。

ニートの持ち物

はじめから失うとわかっていたら、何も持とうとは思わないだろう。

何かを持とうとすることは何かに縛られることだ。いつか失うんじゃないかとずっとビクビクし続けるくらいなら、一気に全て捨ててしまった方がいい。

ギリシャ神話のシーシュポスは永遠に巨岩を山上に押し上げ続ける罰を受けた。巨岩を山上に運び終えると岩は斜面を落下し、またはじめからやり直さなければならないのだ。

現代の僕たちはこのシーシュポスに似ている。いくら積み重ねていっても終わりがなく、そのくせいつか失うんじゃないかと絶えずビクビクしている。

物質的に豊かになればなるほど、現在の快適さを失わないために資本主義体制に依存せざるおえなくなる。生活を豊かにするための技術が逆に生活を操作するようになる。

ジジェクある寓話。ポーランド人とユダヤ人が同じ列車に乗り合わせていた。ポーランド人はユダヤ人にどうしたらそんなに金を稼げるのかと聞いた。ユダヤ人は教えて欲しければ3シリング払えと言った。

ポーランド人は3シリング払った。ユダヤ人はそこでとりとめないことを話はじめ、ちょっとたったところで話しを止め、続きが聴きたければもう3シリング払うように要求した。

ポーランド人は仕方なくもう3シリング払ったが、ユダヤ人はちょっと話したところで話しを止め、また3シリングを要求して、、、

とうとうポーランド人は怒りだし、言った。「お前だって何も知っていないんじゃないか‼嘘つきめ‼」

僕たちはこのポーランド人と同じように、存在しない幻影を恰も存在しているかのように錯覚している。ユダヤ人はそもそもはじめから何も知らないのだ。ユダヤ人を金持ちにしているのはポーランド人自身、つまりポーランド人がユダヤ人に投影している想像がポーランド人自身に働きかける行動の仕方である。

王サマが王であるのは、彼が王であるからではない。臣下が彼を王と思うから王であるのだ。それを臣下は彼が王であるから我々は臣下であるのだと錯覚している。

実際には存在していないのだ。それを恰も存在しているかのように振る舞うことに虚偽意識はある。

ものを所有するということは本当は何も所有できないことの証明なのだ。ものの所有はものへの疎外、物神崇拝を生み出す。それはものの所有者であるはずがものの従属物に転落することだ。

自分は持っている、自分は裕福だという意識は、実は丸裸だと宣言しているに等しい。ものを多く所有していることの優越感は、ものへの偏執的な執着、ものへの永続的な隷属を意味している。それはつねにいつか失うんじゃないかという恐怖と隣り合わせである。それは隷属であり、崇拝である。

自分はものによって護られているという意識は、自分はものはよってしか護られていないという恐怖と隣り合わせである。鋼鉄の鎧で護られていると意識しているが、実は柔肌をさらけ出した最も傷つきやすい存在なのに。

僕たちは今の生活を失うんじゃないかとビクビクして、現状を変えられないでいる。今よりもっと悪くなるんじゃないかと脅えている。それも現在の生活がどんなものであるのか理解せずに。現在の生活がましなものであると、耐えられるものであると思えるのは、現在の物質生活レベルを失ったら絶望しかないと信じ込んでいるからだ。物質的な豊かさ以外で豊かさをはかることが不可能になっている。そもそもそれ以外の可能性が想像できないのだ。だから嫌がおうでも現体制にしがみつくことになる。それが他人を、人口の数%を、死に追いやることになっても。自分だけは護られていると思っているから。

現状を正しく理解しているなら革命しかないと思う。誰かこの体制を降りた人、こんなクソゲーやってられんと匙を投げた人、この社会ではとても生きていけないと思っている人は僕に連絡してほしい。