ニート 歴史革命テーゼⅤ

革命は100%成功する。なぜなら革命の瞬間において人間は神をその身に引き受けるからだ。革命の瞬間において人間は歴史に内属する客体から歴史を動かす主体に飛躍する。人間は神がいる限りで、目的が設定されている限りで、終局的な視点から歴史をふりかえることが可能だ。超越的な視点から歴史を見下ろすことができるのは、人間が歴史の中に内属しているからだ。終局的な視点が設定されている限りで人間はその目的に向かって、その目的を意識して、歴史を鳥瞰的に解釈できる。人間の意識が歴史の流れの中でちゃんとした位置を認識できるのは、歴史が閉じられた枠組として意識を包みこんでいるからだ。

革命の瞬間において革命の主体は歴史から目的を叩き出す。つまりそれは自らの意識を成り立たせている終局的な意味自体を叩き出すということだ。だから革命の瞬間において意味は不在になる。そして意味は革命の主体が自分自身に引き受ける。

意味の不在が意味の生産の条件だった。ここにおいて意味の不在は意味の飛躍に転換する。

意味の不在がその不在の意味を求める絶えざる運動を可能にした。不在の意味を求めることはその不在の意味を絶対化し、はるか雲の彼方に高めてしまうことを意味した。今度は逆だ。不在の意味をそのはるかな高みから引きずり出し、意味を追い求めることから意味を飛躍してゆくことに転換するのだ。

革命の前において革命が成功する確率は0%だ。しかし革命の飛躍を遂げた瞬間に成功する確率は100%に変化している。――崖を想像してみよう。その崖は自分一人が立っているのがやっとの断崖絶壁だ。しかもまわりは真っ暗闇でまったくなにも見えない。足場は刻一刻と崩れている。一刻もはやく向こう岸に跳躍しなければならない。しかし成功する確率は―――――ほとんど0%だ‼!どうだろうか?跳べるだろうか?目盲滅法に跳んで成功する確率などまんに一つでもあるだろうか?しかしあなたは跳ばなければならない。そうしなければどのみち足場はなくなり転落する運命だ。さあ、跳んでみろ!ここがロドスだ。ここで跳んでみろ‼!命がけの飛躍――――――この瞬間に成功する確率は―――――0%から100%に転換する!飛躍した瞬間にこの世界を決定していた歴史の運命自体が消滅するのだ。この世界を構成していた言語自体が転換するのだ。だから革命は100%成功する。革命の前後において世界の原理は根本的に変わっているのだ。革命の前にその正否を検討することはできない。何故なら革命の瞬間において革命は歴史の内属を打ち破ってしまっているから、正否の判断基準となる歴史の目的自体無効になるのだ。

そして革命の主体になりうるのは――――ニートでなければならない。なぜなら彼らは現体制下では根本的に生存不可能だからだ。彼らは現体制下でどんな意味も与えられない。いわば空気みたいなものだ。その存在が根本的に否定させている。ほとんど無だ。だからこそ現体制下で説明困難なこの存在はラディカルに現実を転覆する潜在力を持つのだ。現体制下ではどんな枠組にも組み込まれることがなく、どんな肯定的な説明も与えられないという存在かのありかた自体が、現体制からはみ出た過剰として現体制を転覆し、現体制の存立の根拠を問うてゆくことを可能にするのだ。彼らは直感的に認識しているはずだ、現体制は虚構であり、そこに参加することは根本的に不毛だ、と。

彼らはなにも持っていない。ただ彼ら自身であるだけである。持っている、ということが考えることを不可能にする。考えるためにはなにも持っていてはならない。知識を持っている、とは矛盾だ。本当の知性は思わぬところからとんでくるものを受けとることだと思う。と同時に考えるためにはつねに疎外されていなければならない。なぜならはみ出しているという存在のありかたが、積極的に意味を生産してゆくことを可能にするからだ。