大学についてニートが思ったこと

僕は昔大学に通っていたことがあるのだけれど、はっきり言ってあまり行く意味はないと思う。まあ、僕が通ってた学校が大した所ではなかったこともあるんだけど。特に文系の学部は社会で役に立つ知識を教える所ではないし、そういう知識を学びたかったら自分で勉強すればいいと思う。というか実質そうするしかない。大学の大衆化ということもあって、それなりに財力があって性格も大人しければ大した苦労もなく大学には入れるようになっている。大学の高校化というのも聞くけど、どっちかというと高校のほうがましな感じがしないでもない。旧帝大はいざしらず、大学出といえば昔は社会を引っ張って行くエリートだったけど、今は中堅以下の大学は社会に学生を送り出すためだけに存在しているような感じ。だから今の大学はまともに落ち着いて勉強できる環境ではない。本当に落ち着いて勉強したかったら東大に行ってください。僕が通ってたようなところだと特に熱心に勉強する訳でもなく、かといってすぐ就職してしまう訳でもないので中途半端に学生という身分でいるだけ。社会は学生に期待を寄せて優秀な人材を求めるけれど、大学に通っていたからと言ったって別に仕事ができる訳でもないし、基本学生はダラダラしている訳だから優秀であるわけない。高校とか予備校とか親とか必死になって有名大学に合格させようとするけど、いったい何を期待しているんだろう。大学は彼らが思っているようなところでは決してない、と僕は確信している。その彼らも昔は学生だったと言うから驚きだ。学生は基本勉強なんてしない。じゃあ一体なんで学校に通っているんだ?いったい何をしているんだ?というとこれは解きがたい謎だ。まあ一つ言えそうなことは人間は人生の中でそんなふうに何もしていない時期も必要だということだ。まるでベルトコンベアーみたいに及第して行って、ロボットみたいに社会の再生産に参加して行くのもありなんだけど、その前に一度立ち止まってなんで俺こんなに頑張ってるんだろう、バカみたいじゃん、と思ってちょっとグレてみるぐらいがちょうど健康的なのだと思う。まあ最近は学生をはやく社会に取り込もうとして、もともとぐうたらしている学生を生産的で効率的な尺度に従うように内面化させようという動きがかなり強くなってきているんだけど。僕はそれはちょっと違うんじゃないかと思う。いろいろ意見はあると思うけど、意味なんてなくっても学校サボってぐうたらしてマージャンして飲んでたりしてもいいんじゃないか?それを大学の高校化と言おうが大衆化と言おうが教養の崩壊と言おうが。結局言いたかったことは受験生は大学入った後に僕みたいに茫然としてどうしていいか分からなくならないために、それほど肩肘張らないでほしいということだ。